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井戸覚弘 (旗本) : ミニ英和和英辞書
井戸覚弘 (旗本)[いど さとひろ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [い]
 【名詞】 1. well 
井戸 : [いど]
 【名詞】 1. water well 
: [と]
 【名詞】 1. door (Japanese-style) 
: [はた]
 【名詞】 1. flag 
旗本 : [はたもと]
 【名詞】 1. shogunal vassal 2. direct retainer of a shogun
: [ほん, もと]
  1. (n,n-suf,n-t) (1) origin 2. basis 3. foundation 

井戸覚弘 (旗本) ( リダイレクト:井戸覚弘 ) : ウィキペディア日本語版
井戸覚弘[いど さとひろ]

井戸 覚弘(いど さとひろ、生年不詳 - 安政5年4月7日1858年5月19日))は、江戸時代末期(幕末)の武士旗本)。井戸伊織の子。大内蔵、後に対馬守。大和国土豪であった井戸氏の子孫。

== 経歴==
弘化2年(1845年)、目付から長崎奉行になる。
弘化3年(1846年)、琉球国に通商拒絶されたのち、長崎に来航・上陸した海軍少将率いるフランスインドシナ艦隊の対応をした。
嘉永2年(1849年)3月 - 東インド艦隊司令官であるデビッド・ガイシンガーの命令によりジェームス・グリンを艦長とするアメリカ軍艦プレブル号が長崎に来航した。幕府側として覚弘らが交渉に当たり、アメリカ側は前年に漂着した捕鯨船の船員と、自らの意志で密入国していたアメリカ人ラナルド・マクドナルドを受け取り退去した。
これらの覚弘の手腕を買われ、時の老中阿部正弘の推挙により江戸北町奉行に抜擢でされた。嘉永7年(1854年)2月ペリーの再来(黒船来航)に際しては、林復斎伊沢政義鵜殿長鋭松崎柳浪と共に米国使節応接掛を命ぜられ、交渉に従事し日米和親条約の締結に至った。同年伊豆国下田開港の為に下田に赴き、5月に日米和親条約付録(下田追加条約)に調印した。安政3年(1856年)に旗本の最高職である大目付となるが在職中に没した。
ペリーは日記にて、「50歳位で背が高くかなり太っているが好感が持てる風貌で、駐イギリス(ロンドン)公使ブキャナン(後の大統領)に似ている」と記しており、かなり好感を持っていたらしいことが窺える。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「井戸覚弘」の詳細全文を読む




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